土と木と便り


2025年2月号


毎年冬になると必ず庭へ来ていたミヤマカケスが今年は一羽も姿を見せず寂しいのですが、その寂しさを埋めてくれるかのように今年はスズメの群れが特に多く庭にやってきてとても賑やかです。そこに時々ハイタカやオオモズが現れ素早く小鳥を捕食することもあり、自然の厳しさと生態系のバランスを感じます。

さて、今回は「土と木と」という名前の由来についてお話ししたいと思います。以前酪農をしていた頃、いずれ離農して暮らし方を変えたら「土と木と」という屋号名で何かをやりたいと考えていました。その時点でもうすでに、日々の暮らしの中で珈琲豆を焙煎していましたが、その時はまさか焙煎そのものを仕事にしていこうとまでは考えていませんでした。そして実際に離農し、たまたまこの土地とこの家に出会い、荒れてしまった畑を再び耕し、伸び放題になっていた草や木々の手入れをして、まだまだ住むことが出来るこの家を自分たちでリノベーションしたり、珈琲豆の焙煎をするための小屋を建てたりしているうちに、そもそもこういう暮らし自体が私たちの仕事なのだと実感しました。

いつの時代も、どんな仕事をして、どこに暮らしていても、人が生きていくためには決して土からは離れられないものです。そして、その土からは木(植物)が育ち、実りを得られ、そのおかげで初めて生きていけるものです。全てが例外なく土と木につながっています。

土と木と私…
土と木とあなた…
土と木と水…
土と木と動物…
土と木と暮らし…
土と木と世界…

その流れや繋がりを大切にしていきたいから必然的に「土と木」ではなく「土と木と」という名前になりました。

食べ物や日用品は人の暮らしやその時代の生活文化の様子をよく表すものです。後先を考えない大量生産消費文化によって形作られてきた現代の暮らしは、何世代も先まで続けていける持続可能なものではありません。そうした状況を目の当たりにして、先ずは今の私たちに出来ることをやって暮らしを楽しく変えていきたい、少しでも持続可能なものにしてきたいと思いました。もちろんそれほど大げさなことではありませんし、そもそも私たちに出来ることなどたかが知れています。畑で野菜を作ったり、古物や手仕事のものを大切にしたり、自分たちの手でお店を作ったり、この場所で手の届く範囲の出来ることをしながら面白おかしく小さく暮らしています。

そして珈琲は飲用の始まりとされる中世ヨーロッパの市井の人々に倣い、いつでも煎りたてのものを皆さんにお届けしていこうと考え、小さな手回し焙煎機で日々少しずつ豆を焙煎していくスタイルに自然とたどり着きました。工業製品化された現代の珈琲は売る側の都合によって品質や美味しさが置き去りにされ、とにかく安く早く沢山売ることが重視されるあまりに、焙煎から何か月も経過して酸化したものや、製造原価率を低く抑えるために極端に浅く煎り上げて、珈琲ならではの香ばしさとはかけ離れた不快な酸味が強く出ているものが市中で平然と売られるようになりました。そして、まるで珈琲を使い捨てしていくかのような手軽さを追い求めてきた結果、個包装のドリップバッグが広まり、一杯飲むごとに沢山のゴミを出してしまうものも生み出されてきました。

現代社会のあらゆる場面で似たようなことが起きていて、その流れを食い止めることは決して容易なことではありませんが、私たちはこれからも手作りの小さな焙煎小屋からいつも煎りたての珈琲豆を皆様にお届けしていくことで「土と木と」という名前の付いた、この暮らし方や考え方を表現していきたいと思っています。